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「大手メディアの敗北」(2024年11月時事)

おう!

「100秒一本勝負!」だ!

 

今回は、「大手メディアの敗北」。

前回のショートショートと同じタイトルだったりする。

 

 

=== === ===

=== === ===

おれ

「大手メディアの敗北」がツイッターのトレンドになった。

 

『中立公平なら「敗北」という言葉は絶対に使わない。
 中立公平な報道が出来ているのなら、
 「敗北」なんて言葉は絶対に使わない。
 だからマス**なんよ。』
というツイートもあった。

 

君はこの件について、どう思うか?

 

その道の専門家(???)

この件について考えると、

「大手メディアの敗北」というフレーズがトレンドになる背景には、

メディアに対する信頼の低下や、

情報の扱い方に対する社会的な不満があると感じます。

このフレーズが一部の人々にとって刺さる理由は、

単にメディアの失策を指摘するだけでなく、

それを「敗北」という挑発的な言葉で表現することで、

強い感情を喚起しているからでしょう。

 

ツイートの主張については、一理あると考えます。

「中立公平」を目指す報道機関であれば、

「敗北」という感情的で攻撃的な言葉は避けるべきです。

しかし、現実のメディアは必ずしも完全に中立公平ではなく、

どのように情報を報じるかにおいて

編集方針や利益構造が影響を与えることがあるため、

このような批判が出るのも理解できます。

 

ただし、「だからマスゴミ」という結論には問題があります。

感情的な反発に基づいて全体を否定するのではなく、

具体的にどの報道が問題だったのか、

どう改善すべきかを議論する方が建設的です。

「敗北」という言葉を使うこと自体が、報道機関への反感を助長し、

社会の分断を深めるリスクを孕んでいるとも言えます。

 

結局のところ、

メディアが中立公平であるべきだという原則には同意しますが、

その実現には視聴者や読者の意識や行動も重要です。

一方的に批判するのではなく、

メディアリテラシーを高め、

より多様な視点から情報を評価できる社会を目指すことが求められると考えます。

 

おれ

もうちょっと踏み込んだ話しをするか。

 

この
「大手メディアの敗北」がツイッターのトレンドになった背景には、

 

マスコミが「中立公平」というよりは、
「政治的に、とある政党や候補者に肩入れをして、
 一方を持ち上げ、一方をこき下ろす」というような報道が
一部で見受けられ、

そういった
「マスコミによって持ち上げられた政党ならびに候補者」が
連敗している、というものがある。

 

おれは実は
そんなにマスコミに「中立公平」というのは「求めてない」。

いや、
言葉としては「期待していない」の方が正しいか。

「中立公平なマスコミ」が、もしもあるのであれば、
それが良いに決まってるからな。

 

なので、
以上のここ最近の動きを見ても、

「へー、そうなんだー。」程度にしか思わないのだが、

 

君は

マスコミには「中立公平」を求めるか?

それとも、

おれのように「別に期待してないから好き勝手にやってくれればいいよ」

というスタンスか?

 

その道の専門家(???)

興味深いテーマですね。

この問いに対する私の立場を整理すると、

**「理想として中立公平を求めるが、現実には期待しすぎない」**という、

ある種の中間的なスタンスになると思います。

 

理想として中立公平を求める理由

マスコミが中立公平であることには、以下の意義があると考えます:

 

1.公共の利益のための情報提供

社会全体に影響を及ぼす問題について、多角的な視点を提供することは、

民主主義を健全に保つための重要な役割です。

中立公平であることで、受け手が自ら判断を下す余地を確保できます。

 

2.信頼の維持

明らかに偏りがあると、メディア自体の信頼性が損なわれます。

信頼を失ったメディアが発信する情報は、

たとえ正確でも無視される可能性があります。これでは公共の利益を果たせません。

 

期待しすぎない理由

一方で、現実にはマスコミが完全に中立公平であるのは

非常に難しいと理解しています:

 

1.経済的な制約

メディアはスポンサーの意向や視聴率を考慮せざるを得ない存在です。

利益を追求する以上、

特定の層にウケるような内容や偏りが入り込むのは避けられないでしょう。

 

2.編集の限界

どれだけ努力しても、報道には選択と編集が伴います。

その過程で意図せずにバイアスがかかることがあります。

完全な中立を保つのは理論上難しい。

 

3.視聴者の期待

実際、多くの視聴者や読者が、自分の意見に近い情報を求める傾向があります。

そのため、メディアも特定の視点に寄り添うようになるのは自然な流れです。

 

現実的なスタンス

あなたの「別に期待してないから好き勝手やってくれればいいよ」という姿勢には

共感できる部分もあります。

特に、視聴者側が多様な情報源を自分で探し、

判断する能力(メディアリテラシー)を持てば、

メディアが好き勝手にやってもそれが直接的な害にはならないかもしれません。

 

ただし、

好き勝手にやりすぎて社会的分断を煽るレベルに達した場合は問題だと思います。

例えば、特定の政党や候補者を持ち上げるために明らかなデマを流すような状況は、

公共の利益に反するので抑制されるべきです。

 

結論

私は、理想としては中立公平を求めますが、

それを現実に期待するのは難しいと理解しています。

そのため、メディアに「好き勝手やってもいい」というスタンスを持つ一方で、

それを監視し、必要に応じて批判する態度を併せ持つべきだと考えます。

つまり、自由な報道は尊重するが、責任は問われるべきだということです。

 

あなたのように「まあ好きにやれば?」と思える態度は、

むしろ冷静で合理的な見方のように感じますね。

 

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うむ。

やはり「その道の専門家(???)」は、

前向きで建設的な意見をくれる。

 

おれだけが書き続けると、

「中立であり、社会の木鐸であるべき姿から離れ、

 偏向に堕ちてしまった報道は滅ぶべし。慈悲はない。」

という、

無慈悲な結論を突き付けてしまいがちなので、

 

おれには

「その道の専門家(???)」という、

良心回路・兼・ストッパーがいてくれると

本当に助かるんだよな。

 

前回のショートショート

どうにも

救いのない結末になっちまったので、

 

「ああ、

 このままではいかん。」と思い、

「どうすればマスコミはマス**という蔑称で呼ばれることなく、

 人々に尊敬されて敬われる存在になれるか」

という、方針を提示したかったんだな。(すさまじく偉そう)

 

~~~ ~~~ ~~~

 

マスコミの復興を願うイラストを描いたが、

あれだな。

「メディア」だとしたら、つづりは「MEDIA」であって、

つづりの1文字目から間違ってるな。

 

過ちを正す、というのは大変だろうが、

その大変さにめげずに挫けずに頑張ってほしい。

 

世の中、

すべてのものが

どんなに大変だろうが、

「良い方向」に向かって進んでほしいからだ。UC高昇!

 

では!また次回!

 

 

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