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「テセウスのAI製の船」

かつてその企業は、聖域と呼ばれていた。 「AI不使用」という簡潔なラベルは、情報の濁流に疲れた大衆にとって、唯一信頼に足る「人間の証明」だった。競合他社が次々とAIを導入し、業績を伸ばす中でも、その企業の製品に宿る「魂」は、高価格という壁を美徳へと変えていた。

 

 

均衡を破ったのは、一人の男だった。 ライバル企業から送り込まれた産業スパイ。彼は「なぜ彼らはAIを使わずに勝てるのか」という魔法の正体を盗むべく、深夜の工房へ忍び込んだ。しかし、そこで彼が目にしたのは、神の手を持つ職人ではなく、静かに熱を帯びるサーバーラックと、生成されたデータの微細なノイズを消し、筆致の癖を「人間らしく」整える数人のオペレーターの背中だった。

男は逮捕された。 不法侵入と機密窃盗の罪。警察が彼を連行する際、彼が叫んだ告発は、瞬く間に世界を駆け巡った。

「あそこは、嘘を売っている!」

1日目、SNSは怒りに燃えた。数百万の罵詈雑言が企業の公式アカウントを埋め尽くした。 2日目、かつての信奉者たちが、製品を叩き割る動画を投稿した。 3日目、売上は目に見えて右に下がった。評論家たちは「美学の死」を論じた。

しかし、4日目。 朝が来ると、タイムラインは別の不倫騒動と、新作ゲームの話題に塗り替えられていた。 激しい怒りは、驚くほどあっさりと「飽き」という虚無に飲み込まれた。

 

1ヶ月後、企業の売上は緩やかに底を打ち、安定した。 倒産などしなかった。 人々は気づいたのだ。目の前にある製品の質は、以前と変わらず「完璧」であることを。そして、その完璧さを捨てるほどの情熱は、もう誰の胸にも残っていなかった。

「あそこはAIだったけれど、こっちは本物だから」 人々はそう言いながら、今も『AI不使用』を掲げる別の企業の製品を、高い評価と共に買い続けている。その工房の奥で、何が動いているのかを確かめようとする者は、もう現れない。

港に浮かぶテセウスの船は、今日も美しい。 その材木の一本一本が、誰の意志で削り出されたものか。 それを真剣に問い、海の底を覗き込もうとする人間は、この広い世界にもう、ほとんどいなかった。

 

 

yoyrz8oooooo.hatenablog.com

 

 



 

 

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