YMDは20歳から毎月10万円を積み立て投資に投じてきた。
最初の数年は順調に資産が増え、
定期的にポートフォリオを見るたびに満足感が湧いたものだ。
彼は「投資は長期でこそ真価を発揮する」と信じていた。
40歳を超えた頃には、積み立てた資産は数千万円に達し、将来への安心感もあった。
しかし、45歳のときに「世界金融危機」が訪れた。
最初は少しの下落に過ぎないと思っていたが、
日を経るごとに株価は急降下し、彼の資産は一夜にして半分以下に減少した。
それでもYMDは、
冷静に「これは一時的なもの、長期投資だから大丈夫」と自らを納得させていた。
積み立てを続けることで平均取得単価を下げ、今後の回復を待つつもりだった。
だが、回復の兆しは見えず、年月は無情にも過ぎていった。
50歳になったとき、世界はまた新たな「不況」に突入。
「長びく不況」と言われ、市場は底なしの沼のように沈んでいった。
YMDの積み立てた資産は、今や彼が投資を始めた頃よりも少なくなっていた。
毎月の積み立ては、ただのナンピン行為に思えてきた。
YMDは不安に苛まれながらも、投資を続けた。
55歳になると、再び「〇〇ショック」が起こった。
これは彼が経験した中で最悪の恐慌だった。
株価は過去のピークから見て10分の1まで落ち、
何十年も積み立ててきた資産は、紙屑同然となった。
彼は初めて、自分が何をやっていたのかを深く理解した。
長年積み立ててきた資産は、壮大なナンピンの結果でしかなかったのだ。
絶望がYMDを包んだ。
毎月積み立てた努力が、ただの幻想だったことに気づいた時、彼の心は砕け散った。
YMDは誰にもそのことを話せなかった。
周囲にはまだ積み立て投資を続ける友人や家族がいたからだ。
声を上げることは、彼らを不安にさせ、自身の失策を認めることでもあった。
苦しみながらも、後悔と自己嫌悪だけが膨らんでいった。
60歳の誕生日、YMDは最後の積み立てを確認し、窓から外を見つめた。
そこには、もう何も見えなかった。
彼は静かに目を閉じ、深い暗闇に身を委ねた。
積み立て投資の終焉、そしてYMDの人生の終焉が、同じ時を刻んだ。
YMDはそのことを伝えることなく、失意のうちにこの世を去った。
誰もが「積み立て投資は賢い選択」だと信じている中、
彼の悲劇はただの「繰り返される物語」の一つとして、
誰にも知られることなく消えていった。
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